花束を君に
昨年末、大学病院から母への「初期の膵臓がん」の宣告。
私は断固として抗がん剤治療を断り、家族や知人からも諭され自宅療養へ。
2ヵ月間、病院への診察を行わずにいたある日、手足がピリピリするという理由で受診したら、「膵臓がん・肝臓がん・肺がんに加え、多発性脳梗塞を併発」との診断。
それから、効き目が強くない抗がん剤投与と、脳梗塞の薬を飲むため入院。
退院後は看病のため、妹と交代で実家に寝泊まりすることに。
その後、入退院を繰り返すも、人と沢山会ったらたいていは体調をくずしていたものの、誰よりもはりきって誕生日会を開催しました。
案の定、翌日体調を崩し嘔吐と血便により再入院後、そのまま病院にて膵臓ガンによる黄疸で5月12日、永眠。
入院中も沢山の親戚・友人らが毎日のように駆けつけ、元気だった頃の母の人徳からなるもの。
長いようであっという間だった半年の闘病期間。
悲しかったと言えば、とても悲しく。
ただそれを上回る母に対する励ましや思いやりに、ただ感謝の想いを抱くことが亡くなってからも多々ありました。
親孝行できたかと言われれば、「旅行に連れて行ってやりたかった」とか「健康的な余生を過ごしてもらいたかった」など、限りなくあるのですが、最後の入院の前に沢山の親戚に喜んでいただいた「お誕生会」を開き、さようならは言わなくても楽しい時間を過ごしてもらえたことは、良かったのかなと思います。
そして、これが「最後の親孝行」だと思っています。
大学病院からは抗がん剤治療をすれば9ヶ月、しなければ半年いった診断を受けました。
「生活保護を受けながら抗がん剤投与をしては」とまで言われ、結果的には頑に断ったため、宣告の3ヵ月ほど寿命は縮めたものの副作用に苦しむこと亡く、自宅療養で自分らしい暮らしを送りながら、看取れたことはある意味良かったのではないかと思います。
脳梗塞が分かってからは、しばらく「砂糖を接種してはいけない」など健康法的なアドバイスは書籍やネットの記事を読みながら行っていたのですが、余命短くなってからは本人の意志を尊重し、好きなように暮らしてもらいました。
沢山の人と母が病に伏せたことを話しました。家族に癌患者がいるときにどうすれば良いかベストの選択肢というものはなく、患者と看取る側双方に納得が行き、また生活が破綻せず、後悔を生まないライフスタイルであれば良いのかなと感じました。
私の仕事の方は、看病などで急を要するものはお断りしてきました。
残されたものとして今後、公私ともにどういった方向に進めば良いか、まだ少々悩んでおります。
以前のような制作体制に戻るのにはもうしばらく時間がかかりそうです。
整い次第、あらためてブログにてご報告させて下さい。
それから本ブログのタイトル「花束を君に」は、宇多田ヒカルによる、朝の連ドラ「とと姉ちゃん」のテーマソング。
たまたまネットで見たドラマのプロデューサーの歌の解説に記事には「残されたものから亡くなったものへ贈る歌」とされていました。
母が好きだった朝ドラに加え、この意味合いのテーマソング。
TVから流れる度に思い出す母との思い出と、感謝の念。
気持ちの整理がついたのかどうかも分からず、まだまだ母が亡くなった後の家のことも落ち着いていませんが、家族や兄弟含め元気に暮らすことが良き供養になると信じて、一日一日を大事に生きていきたいと思います。